生きる

思い出を抱えて生きる

おのれの未熟さを感じた展覧会


静嘉堂文庫美術館
10月4日(土)から12月21日(日)
「修理後大公開!静嘉堂の重文・国宝・未来の国宝展」

この度は、期待以上でそうなると前期も見たかったと・・未練がましいことを思ったりするものです。
そして「うぅーーん!」と考え込んでしまったことは・・
なんと画には、ストーリーがあり また さっき起きたこと今、起きていることが同時に描かれているものがあってこの手法どこかで見たのに似ているなってしばし佇んでしまった。
注釈をしげしげながめていると狩野派の方々が模写だったかな?お手本?にしたというくだりを読んで あぁー!と思い出した。

この間、見てきた『絵金』の芝居絵屏風が脳裏に浮かんだ。

お行儀が良くてみごとに格式高い作品に比べてはいけないのだが、納得したのは絵金こと金蔵さまも狩野派で教養を身に着けているので そこ(正当)を打ち破ってのあの庶民よりと情念の傑作ができたんだって胸にストーーン!と落ちるものを感じた。
その後、ため息が出た。
きちんとそれなりに学んでいると遠回りせずに的確な鑑賞ができたのではないかーーそんな悔しさも残ります。

 

一番印象に残った作品は、
『阿房宮図』
壮大な風景に凄艶な炎の表現に心を揺さぶられた。


修理を経て蘇った名品たちは、ただ美しいだけでなく、歴史や人々の思いを背負い、今に語りかけてくるようでした。静嘉堂文庫美術館でのひとときは、芸術の奥深さと自分自身の未熟さを同時に思い知らされる、忘れがたい体験となりました。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そなエリア東京

都型下水道製品工業会→研修会及び懇親会の開催

日時  12/3

研修会 東京臨海広域防災公園 防災体験学習「そなエリア」

懇親会 〇〇

研修会の場所は、とても興味深かった。
すぐに研修会だけ参加

『東京直下72h TOUR』ということで 服装もそれっぽく装い。
目立つ色、黄色、動きやすい服装、フリース。
カーキ色のリュックを背負って、いつものようにバナナと水、何故かドラ焼き一個。
お供は、小野寺史宜『ひと』←この方の小説を息子が4冊ぐらい持ってきてくれたので毎日、1冊読んでいます。

よせばいいのに『そなエリア』内部をYouTubeであらかじめ予習をしてしまった。
だから体験ツァーが新鮮という感覚がなくて失敗。

かなり早めに到着して外を探索したのは楽しかった。

これは、噴水でした。
真ん中から温かそうな蒸気が噴き出していると近づいたら水だった。
「あったかいわけがないでしょ!」と立ち尽くして己の愚かさをゲラゲラ笑う。


初めてぐらい ドキドキ楽しいことってない。

都内に行くときは、もしかしたら・・・を想定して身支度をすることにしました。

もしかしたら外で寝るかもしれない。
もしかしたら飲食に困るかもしれない。
もしかしたらトイレに困るかもしれない。

 

散歩の風景

令和元年の終わりから始めたインターバル速歩は、今年の夏まで一週間で合計120分を目標に気楽に行っていました。
 24分×5回(3分速足、3分普通に歩く)
これからの健康維持ぐらいの気持ちでしたので 特に大きな期待はありませんでした。
ところが半年ほど経つと、少し体重が減り、坂道も楽に歩けるようになり、血圧も見事に安定。思いがけない変化に気づきました。

しかし、8月に12日間ぐらい体の事情で歩いてはいけない日が続いたらなんと平衡感覚や歩行速度が極端に落ちたのです。
にわかに信じられなかった。
驚いたのだがさりとていきなり歩きたくないために早朝に3分ぐらいから初めて限度を15分ぐらいとして気楽に歩いてみた。これが清々しくてはまってしまった。朝の散歩もインターバル速歩にしてみた。

夏の時期は、せっせと歩いている方もいらっしゃった。
遠くに見えるちょっと小太りの60歳半ばぐらいの方のTシャツの色を眺めるのが楽しみだった。
ある日、すれ違いざまに
「おはようございます!」と声をかけると
初めは、その方は、無言で会釈を返していたが だんだん
「おはようございます」って元気に言えるようになった。
心で偉い!とニカっとする。
でも、日の出がだんだん遅くなったら見かけなくなった。
代わりに車椅子を必死に動かす方と出会いました。
こちらの方にも「おはようございます!」
その方もご挨拶して二回目ぐらいから「おはようございます」って声にだしてくださった。
どういうわけか皆さん散歩が続かない。
今では、薄暗い朝にニット帽と手袋でばっちり防寒して・・なんと歩いているのは、私一人になってしまいました。
日が昇る前の朝がとても好き。

散歩の次に見つけた楽しみは、ラジオ体操だ。


新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ一・二・三

そして週に3回ほど夕方もインターバル速歩

3年ほど夕方にすれ違っていた方も、今は見かけなくなりました。

なんだか少し寂しいけれど、それも散歩の風景のひとつなのかもしれません。



佐藤美術館/生きる

Endllless flowー終わりなき流れー野地美樹子日本画展

展示空間に流れる音楽と画が,

時に呼応するかのような感覚におちいり意味もなく「なるほど・・」なんてつぶやいてしまった。
そしてこの渦の中に亡くなった親友二人の顔が浮かんでは消え浮かんでは消え私も一緒にどこまでも流され続けている錯覚に陥った。

次に拝見したものはーーー
題が『生きる』だった。

「えっ!?」
足がピタッと止まった。
なんとこの画の題名・・・

しかも故郷の青森の字をみとめた。
もっと驚いたのが七戸だった。
(故郷の地から近いから)

ほとんど存じ上げない日本画の方だったが、銀杏の黄葉に誘われてフラフラ
(思ったとおり千駄ヶ谷の通りも綺麗だった)
佐藤美術館では、想像以上の感動と感嘆で胸がいっぱいになってしまった。
この日本画の野地美樹子さんは、40代半ばほどだろうか。若さと力強さを感じさせる作品に、今後の活躍がとても楽しみになった。
最後に銀杏

戻って

展覧会を見終えたとき、なにか不思議な縁を感じずにはいられなかった。
見たい。
行きたい。
その気持ちをこれからも大事にしていこうと思う。

 

絵師金蔵 赤色浄土

芝居絵屏風のことを書いたブログがきっかけで、次の本をご紹介いただきました。

『絵師金蔵 赤色浄土』藤原緋沙子著

手に取った瞬間、まず目を奪われたのは赤を基調としたデザインの表紙。
深い赤色の装丁。

読む前から内容が暗示されて・・
思わず「憎いなぁ」ってつぶやいてしまう。

これ以上ないくらいにはしょってあらすじを書くと
幕末土佐に生まれた絵師・金蔵(絵金)は、江戸で狩野派に学び名を授かるも、時代の荒波に翻弄される。故郷に戻った彼は、芝居絵屏風や艶やかな色彩で庶民を魅了し、「血の色は厄払いじゃ」という言葉に象徴されるように、絵を通じて人々の不安を祓う存在となる。波乱の世を生き抜いた異才の生涯を描いた歴史長編。

やはり・・
赤という色が「厄除け・厄落とし」として描かれていたことが心に残りました。混乱の幕末という時代だからこそ、人々は絵に祈りや願いを込め、鮮烈な赤に救いを見出したのでしょう。金蔵の絵はただ美しいだけでなく、時代の不安を受け止める力を持っていたのだと感じます。 
一気に読み終えた後は、深いため息しか出てこない。

宵闇に赤色の絵を照らす火の色がいつまでも脳裏に浮かんでは消える。


届かぬ便り

山梨県立美術館「ミレーの美術館」に行ってきました。(11/9)

かつて亡き友と過ごした夏の日。
思い出の場所
「ミレーの絵を見に行きましょう」と・・

あの時、前夜は、笛吹川のほとりにある温泉旅館に泊まりました。車なら二時間もかからず着く距離なのに、電車に揺られて小旅行気分。湯けむりと川のせせらぎに包まれた夜は、お酒の酔いも手伝っておしゃべりが尽きなかった。


そして、翌日、美術館到着で期待に胸がふくらみました。

館内では、最初にミレーの代表作《落穂拾い》や《種をまく人》に出会いました。友は「郷里を思い出す」とつぶやき。言葉なくうなずき返す。フランスの農村を描いた作品なのに、色調に不思議と日本の原風景に通じる懐かしさが漂っていたのです。
その時は、そう思ったのです。

階段の踊り場には、天井から吊るされた鳥のオブジェ。
緊張が解けた私たちは、それを真似て鳥のポーズを取り、笑い合いました。美術館という静謐な空間に、遊び心がひとしずく加わった瞬間でした。

 

外では、噴水の周りをポンポンと飛び跳ねながら、またまた笑顔がはじける。

そんな思い出を抱きしめてミレーの絵を見てきました。
『落ち穂拾い』この絵を見てね。
なんだか・・悲しくなりました。
暗い色調だし 言葉に出して言っていいのかわからないけれど貧しさを彷彿とさせるでしょう?
確かに絵の描写と底に流れる精神は、素晴らしいかもしれない。
でもね楽しい時に見る絵ではなかったでしょう?と今更ながらに思う。

 


山梨は、やはりちょっと季節が早いのかイチョウが黄葉していました。
貴女にカードを買ってきましたよ。

 








 

カナール/イチョウ並木

久しぶりの昭和記念公園

紅葉したイチョウ並木を見たくて お供に相変わらずの塩むすびとバナナに水。
入園してから一目散にイチョウを目指す。

その途中、水鳥がたくさん休んでいました。

目的地到着
生憎、イチョウは今一つ
この場所は、『カナール』←細長い直線水路のことだそうです。

少しがっかりしながら歩いていたら遠くに打掛の花嫁さんを発見

この日、なんと15000歩。

美術館は、自分の気を吸い取られる感じがするのだけれど草木がある所は、どんなに歩いても自然に抱かれていつしか気が満ちて空へと解き放たれていく。




好きな作家

何故か好きな作家の一人ですと言えないままこっそり?読んでいた小説の数々。
講演会まで出かけて目を瞬く癖を目の当たりにして胸がいっぱいになった日。
何かの拍子に誕生日の月日がいっしょだと知った時の嬉しさ。
亡くなったのを知った時、何故か愚かにも人ってやはり亡くなるんだってぼんやり思ったこと。
そして夫婦没後の刊行を条件として遺した作品を読んで・・

石原慎太郎『「私」という男の生涯』を読んだとき、私は深い尊敬と期待を抱いてページをめくった。文学者として、政治家として、そして思想家としての彼の言葉に触れることは、私にとって知的な刺激であり、人生の指針のようなものだった。

しかし、読み進めるうちに、放蕩や女性遍歴の告白に直面し、心にざらついた違和感が残った。尊敬していた人物が、自らの欲望を「人生の公理」として語る姿に、理想像が崩れるような衝撃を受けたのだ。

読了後しばらくは、嫌悪感が感想の中心を占めていた。けれども、時が経ち、ふとしたきっかけで『石原家の兄弟』を手に取ったとき、感情の風景が少しずつ変わり始めた。

そこに描かれていたのは、晩年の石原慎太郎を兄弟たちが交代で介護する姿──「親父シッター・ローテーション」と呼ばれる、笑いと切なさが同居する日々だった。かつての威厳は影を潜め、死を前にした父の姿は、弱さと人間らしさに満ちていた。

だんだん私はこう感じるようになった。

「人って死に近づくと、もはや凛として生きた姿がモヤモヤとかき消され、消えていくんだな」

石原慎太郎という“象徴”は、死を前にして“人間”へと還っていく。その過程を、家族のまなざしを通して見つめることで、私の中の嫌悪はやがて理解へと変わっていった。

 

彼が残した言葉──「忘却は嫌だ。何もかも覚えたまま、それを抱えきって死にたい」──には、記憶と存在の重みが宿っている。放蕩も、成功も、孤独も、すべてを抱えて死に向かう姿に、私は人間の複雑さと誠実さを見た。

絵の金さん・芝居絵屏風

先日、サントリー美術館で「芝居絵屏風」を鑑賞してきました。 描いたのは、通称「絵金」こと絵の金さん。歌舞伎や浄瑠璃の物語を一枚の屏風にぎゅっと凝縮した作品群です。

実は、まったく予備知識がなくて「絵金」という名前を見たとき、赤いひらひらの金魚を想像してしまいました。笑
でも、あながち遠くもなかったかも?赤と緑の補色が印象的な絵は、夜の灯りに映えるように描かれているそうです。

絵金さんは、もともと狩野派で修行を積み、家老のお抱え絵師として活躍していたそうですが、贋作騒動で破門となり、職も失ってしまったとか…。 その後、叔母さんのもとで新たな道を見つけ、神社やお寺への奉納絵が夜の祭りで飾られるようになったのが転機となり、土佐のあちこちで引っ張りだこになったようです。

今回見た芝居絵屏風は、物語性が強く、色彩も鮮烈。 ただ、腕組みしてしまったのは…やっぱり、これは宵闇の中、



祭りのざわめきの中で見るからこそ、物語が浮かび上がり、観る者の気持ちも高揚するのでは? 美術館の静けさの中では、その臨場感が少し物足りなく感じてしまいました。

それでも、絵金の世界に触れられたことは貴重な体験。 次は、土佐の夏祭りで、実際に灯りに照らされた絵金の絵を見てみたいな…そんな思いがふと湧いてきました。

熊と柿・カラスと柿・盛岡の風景

熊の出没が多いこの頃です。
もはやどこで遭遇しても おかしくないような気がします。

さて、20年前かな?
昔、親友が青春を過ごして そして学んだ地。
盛岡。
岩手大学。
そこを一人でフラフラ旅をしたことがあります。
その懐かしい街並みが熊のニュースでテレビ画面に映し出されて絶句。
私の目は、一生懸命に風景ばかり追っているのだが・・
余計な熊の姿がチラチラ。
「あそこに熊ねぇ~」
「お腹が空いているんだね」
「まてよ!?柿が好きなのかな?」

柿・・から ふとある風景が・・

早朝の散歩で30本以上の柿の樹がある場所を通るのです。
その実が熟してきた頃、日の出前からカラスの大群が押し寄せて朝ご飯を食べています。
「あぁー」って思っていましたが
明日は、木の上に熊かもしれないと毎日思う。
私が母熊だったら子熊に食べさせるためには、どんなに遠い所でも出かけて
ここに柿の木
あそこの庭の物置にドックフード
そうそう筋肉を作るために鶏や小動物もね。
動物園がそばにあると案外簡単にご飯にありつけるかな?って教えるかもしれません。
「私たちは強いのだから怖がらないのよ、大胆に威嚇しなさい」って励ますかな。
そして、走り逃げることも
まずいなーって思う。
今までは、山で充分な食べ物にありつけて 人と熊は、あまり干渉しないで生きてこられたのだけれど どちらが先に境界を踏み越えたのでしょうか?
それにしてもー
くわばら
くわばら


コースは違うが夜の散歩は、ひかえようと思います。

 

 

『もう一つの平泉』

いつまでも『平泉』の熱に浮かされていた昨今、これは運命だって言えるような本に出合った。

その本の名は『もう一つの平泉──奥州藤原氏第二の都市・比爪』。著者は、平泉ガイダンスセンターの上席専門学芸員である羽柴直人さんです。

この本は、平泉から北へ約60キロに位置する「比爪(ひづめ)」という中核都市に焦点を当てています。 かつて奥州藤原氏が築いたもう一つの都市──比爪。近年の発掘調査によって、広大な遺跡や宗教施設、陶磁器などが発見され、平泉に匹敵する文化的な厚みが明らかになってきました。

羽柴さんは、考古学的成果と文献史料を丁寧に織り交ぜながら、比爪の都市構造、宗教世界、そして平泉との関係性を解き明かしていきます。 特に印象的なのは、比爪の宗教施設が四方に配置されていたという記述。北の高水寺、西の新山寺、東の蓮花寺、南の宗教施設──まるで都市全体が祈りに包まれていたかのようです。

歴史書でありながら、羽柴さんの筆致はとてもやわらかく、すらすらと読み進めることができます。 学術的な厳密さを保ちつつも、どこか夢があり、著者の人柄がにじみ出るような温かさが感じられます。 読んでいるうちに、比爪の街を歩いてみたくなり、瓦の隙間を風が通り抜けるような音や寺院の鐘の響きまで想像してしまいました。
(実際は、名残?だけしかありません)
それでも私は思います。
比爪跡地に立って風とともに眺めたい。
思いは果てしなく空を翔ける。

この本との出会いは、私の中の「平泉熱」をさらに深めてくれました。 そして、比爪というもう一つの都市が、私の心の地図に新たな光を灯してくれたのです。


ヤモリと暮らす

ずいぶん前から『ヤモリ』と暮らしている。

物騒な事件(強盗とか空き巣)があちこちであった時から雨戸の開け閉めをするようになりました。それまでまったくそこに触れたことが無かった。触るのもちょっと怖かった。初めは、蝙蝠やネズミが飛び出すのじゃないだろうかと身構えてガラガラ引き出した。なんとその戸袋に白い卵のようなものがついていた。なんだろう?としばらく思っておりました。
ふむ~蝙蝠かネズミの卵かな?
いやいや卵で生まれないでしょう?
数日後、雨戸に小さなヤモリがついていてパッと飛び降りるのを目撃しました。
そこであの謎の卵は、ヤモリで 小さい奴は、赤ちゃんかもって勝手に解釈した。
そして、今度は夜に本を読んでいるとカーテンの下でちゃっちゃっちゃって動くものがいる。
「ギャー」と叫んものだから それも「ギャー」と逃げたのでしょう。
すばやい動きを目で追うとなんとヤモリの赤ちゃんだった。
小さい焦げ茶色の子だった。
私は、毎日、寂しかった。
だから室内にいるんだって思ったその時から一緒に暮らすことにしました。
小さな箱で家を作って隠れ場所を作りレンゲをおく小さな皿を水飲み場にして朝に晩に水を取り替えました。
「ご飯は、自分で調達してね」
毎日、話しかけているけれどその場所ではあれ以来、姿は見たことがない。
私の中では、どんどん成長しているのだけれど
庭の鉢の陰で小さなヤモリを見つけた時、あぁ あの子の子かなって思った。
時々、返事をしない愛犬の名前を呼んで両方にお水をあげる時、意味なく笑いたくなる。

国立新美術館/時代のプリズム

時代のプリズム
日本で生まれた美術表現1989-2010

久しぶりの国立新美術館です。

乗り換え駅の原宿は、きれいに改装されていました。
見渡す限りの人、人、人には、見慣れていても口をあんぐり開けて
「うわぁ!」って声にだしてしまった。
しかも押し合い圧し合いぎゅうぎゅうの山手線でイタリア人の若い女性に吊革をどうぞと気遣われた。(やはり凄いおばあさんに見えるんだろうな)
その方々は、映画のマンマ・ミーアに出てくる女性たちみたいだった。

さて、話が変わって展覧会!
これのキュレーターは、おそらくバブル崩壊後、昭和の余韻と平成の模索が交差する、揺れる20年。
見る角度によって変化する時代を意図したのかな?って勝手なことを思いながら会場を歩きましたので想像力全開で楽しかった。




レゴです。裏に凸凹なし

これには、まいりました。
始めは、ふむ~見立てかな?なんて軽い気持ちで眺めていて
「冗談は、やめてよ!」に変化。

この作品の前を行ったり来たりで
「そうだよね!?そんな時代だったかも・・・」
お茶の先生がごらんになったら なげくだろうなって
「パロディ?」
いやいやちょっと違うかな・・


この自転車は、前がありませんでした。(前車輪)

2025年の展覧会では、一番かも。。。。


私の見た感想を色に例えたらピンク色と赤







良い人と良い本に出会った

『本日一日だけでいいです。どうぞ無事に観光を終えて家に帰れますように』

金色堂からのスタートを切ったのは、もう『げんを担ぐ』ことしかすべがなかったからです。
それは、昨日、不思議なことにこの地で力がみなぎるのを感じたからです。
そして厳粛な心持と同時に不埒な心根を持つ私は、中尊寺のかりんとう饅頭を購入しました。
元気になったら家でコーヒーを飲みながらちょっとあぶってこのお菓子を食べたら最高だろうなって自然と笑みがこぼれる。

昨日のタクシードライバーさんが案内してくださったのは、思いがけない

『無量光院跡』
本降りの雨の中、かまわず外へ立って見ました。
ここは、三代目秀衡が京都・宇治の平等院鳳凰堂を模して、平泉に建立した寺院です。
本尊は阿弥陀如来。
浄土式庭園です。←仏の理想郷
※浄土・・仏の光に照らされて歩む場所※
想像力が豊かなものですから勝手に無量光院を頭の中で再現していました。
その一方、「ここは、戦後、水田だったと伺っております」には、納得。
「人は、食べなければ生きていけませんからね」
そうか・・仏様に導かれたのだろう。
美しいものを眺めながら 塩むすびをガブッとするのもありだろうと思う。

 

なぜか秀衡とその妻が狩りをする仲睦まじい姿を思い浮かべる。
(すっかり小説の中)

次は、『平泉世界遺産ガイダンスセンター』
こちらでは、椅子に腰かけて平泉の四季、仏国土の世界観をワイドスクリーン及び床面映像で堪能させていただきました。
発掘された『かわらけ』については、ひじょうに興味深く感じるものがありました。
「かわらけ(瓦器)」と呼ばれる素焼きの土器です。
 浄土思想に基づく儀礼や日常の営みの痕跡

  • 手作りまたは轆轤(ろくろ)で成形され、直径8〜16cmほど。

  • 食事、酒、油などを入れるための使い捨ての器として使われていました。

  • 平泉ではなんと約10トンものかわらけが発掘されており、当時の宴や儀式の規模を物語っています。

    こちらのセンターは、復習という意味でなかなか内容が色濃く連れてきてくださったタクシードライバーさんに感謝です。
    私の頭の中にあったのは、平泉文化史館かな?とにかく違うところだった。
    そして、

    北のつわものの都・平泉

    • 八重樫 忠郎/著

  この本を購入した。
毎日、少しづつ読んでいます。

 そうだ!!厳美渓も見た。あまり興味はなかったが・・

元気な時に生きているうちに もう一度、平泉に行こうと思う。